祖父・新垣菊信
瓦工場の第一線から退いたのち、型を使ってシーサーを制作。家族のものづくりの原点。
NOBUTO ARAKAKI · FOUNDER OF SHIMANCYU KOUBOU
シーサーをつくる。文化を調べる。人と笑う。
2005年、沖縄・与那原で独立しました。土と火から生まれるシーサーに新しい色を重ね、その歴史を探りながら、沖縄の守り神を世界中に届けたいと願っています。

HELLO FROM YONABARU
祖父も父も、土に触れて生きてきました。僕も瓦工場で修業し、2005年に独立してインターネットの世界へ飛び込みました。
シーサーを販売するうちに、もっと作品の背景を知りたくなり、自分でも釉薬を施すようになり、やがて世界の獅子文化まで調べ始めました。好きなことが、どんどん増えてしまったんです。笑
仕事、家族、地域のこと。毎日は慌ただしいですが、そのどれにも共通する「大切にしたいもの」があります。
このページは、僕の仕事と、僕自身の物語です。
01 / MY BEGINNING
僕の祖父・新垣菊信は、戦後の沖縄で焼き物づくりを始めました。父・新垣信一も工場を引き継ぎ、花鉢や瓦を制作。僕自身も家業で約7年間修業しました。土を扱う難しさも、火の力も、現場で教わりました。
2005年、家業を離れて独立。インターネットを通じ、沖縄の職人と全国のお客様をつなぐ店を始めました。公開した日付は、偶然にも8月15日、終戦の日。準備に追われて徹夜をした先に、その日があったのです。
最初は偶然だったその日が、今では「守り神を届ける」僕の仕事と深く重なっています。

瓦工場の第一線から退いたのち、型を使ってシーサーを制作。家族のものづくりの原点。
41歳のときの大きな事故を経て、祖父の勧めでシーサー制作へ。今も僕にとって大きな存在です。
シーサーづくりの三代目として、制作・釉薬・販売・発信を自分の方法で続けています。
瓦工場の経営の流れは、新垣菊信(創業者)→ 新垣信一(二代目)→ 新垣文男(三代目)→ 新垣拓史(四代目)です。文男は僕の叔父、拓史はその長男です。
僕は菊信の長男・信一の長男にあたります。2005年に独立したため、現在の新垣瓦工場の経営とは関係がありません。 瓦工場の事業の系譜と、祖父・父・僕が受け継いできたシーサーづくりの系譜は、区別してご紹介しています。
「石は軽くする。2026年8月16日・創業21周年のブログより
伝統は軽くしない。」
02 / THE COLOURS I MAKE
焼き物に釉薬を施す仕事が、今では大好きです。
最初は筆が思いどおりに動かない。その不自由ささえ面白い。父がつくった毛並みや眼差しを生かしながら、釉薬と窯の炎にゆだねる部分もある。窯から出した瞬間、新しい作品に出会うような驚きがあります。
同じ青でも、思い描く風景は一つではありません。自分の記憶と気持ちから生まれた四つの表現を、ご紹介します。

僕の自信作。白い砂浜、浅瀬の光、深い海の蒼。子どもの頃から見てきた沖縄の海の記憶を、一対の小さなシーサーに重ねました。「これから、少しずつ良くなりますように」という気持ちも込めています。
原型・成形:宮城勝一郎 / 施釉:新垣信人
umiの物語を読む →
父の力強い手びねり造形に、僕が金の釉薬を施した親子の共同制作。金はただ華やかな色ではなく、琉球の歴史や新しい未来への希望を重ねてきた色です。父の刻んだ線に筆を入れるときは、いつも背筋が伸びます。
手びねり造形:新垣信一 / 施釉:新垣信人
金獅子を見る →
やんばるの森と川、その先の海。自然は別々ではなく、つながっています。父の造形に柔らかな水色を重ねた海結は、人と人、人と自然が結び合うことへの願いも込めた一作です。
造形:新垣信一 / 施釉:新垣信人
海結の物語を読む →
光を受けて表情を変える深い藍。父が彫り込んだ毛並みや陰影が、釉薬によって違う顔を見せてくれます。静かさと力強さが一緒にある、不思議な色に惹かれています。
造形:新垣信一 / 施釉:新垣信人
インディゴブルーを見る →※作品の造形と施釉の担当は分けて表記しています。作品の画像は、しまんちゅ工房の公開商品画像を参照しています。
03 / SHISA LABORATORY
「シーサー研究室」は、僕のライフワークです。
なぜ沖縄にシーサーがいるのだろう。なぜ人は獅子の姿に守りを託してきたのだろう。その疑問を追いかけるうちに、中国、インド、ネパール、エジプトへと関心が広がっていきました。
資料を読んで、現地を歩いて、時にはお客様との会話から新しい疑問に出会う。すぐに答えの出ない問いがあることも、この研究の面白さです。
歴史資料で確かめられたことと、僕自身の考察は分けながら、沖縄のシーサーを世界の文化の中で考え続けたいと思っています。
獅子像の広がりと、人々が守護の象徴に託してきた願いを探ります。
琉球の石獅子、屋根シーサー、家の守り神。自分の土地へ立ち戻って考えます。
調べたことを自分だけの知識にせず、次の人へ渡したい。研究も文化をつなぐ仕事です。
分かったつもりにならず、好奇心を失わないこと。学び続ける姿勢も父や祖父から受け取ったものです。


YONABARU / CULTURE PASSED ON
獅子をつくる側から、
獅子と舞う側へ。
2026年、75年ぶりの修繕が始まった上与那原の獅子。保存会の仲間とともに、次の世代へつなぐ仕事に携わっています。
「守る」とは、ただ古い形を残すことではない。若い人が「自分もやってみたい」と思える未来をつくること。
04 / MY HOMETOWN, YONABARU
僕は与那原の地域行事にも関わっています。子どもたちが自分で考え、動き、大人たちが一緒に楽しむ。そんな場にいると、文化の継承は難しい理屈ばかりではないと思うのです。
2026年には、上与那原の獅子舞の修繕に関わる機会をいただきました。獅子舞保存会にも参加し、いつか獅子の中に入って舞うことになりました。「獅子をつくる側」から「獅子の中に入る側」へ。こんなにうれしいことがあるでしょうか。(^^)
大切なのは、次の世代に渡すこと。そのためにも、僕たち自身が思いっきり楽しみたい。子どもたちが「僕もやってみたい」と思えるように。


05 / DAYS IN BETWEEN
仕事で慌ただしい日にも、家族と過ごす時間があります。息子と海辺を歩いた朝、妻や友人と続けてきた月末の御嶽参拝。大変な時期を経験したからこそ、何気ない一日を「有難い」と感じるようになりました。
そして僕は、とにかくよくしゃべります。シーサーの話になると止まらない。地域の行事でカチャーシーを踊るとなれば、妹夫婦は三線や太鼓、僕は鈴を担当。みんなで笑えれば、それが何よりです。
ものづくりも研究も、家族も地域も。全部に夢中になるから忙しい。でも、そういう毎日を、僕はとても幸せに感じています。

06 / WHY I KEEP GOING
長年、ブログに掲げてきた言葉です。喜納昌吉さんの「すべての武器を楽器に」に心を動かされ、
自分の仕事に置き換えて考えました。
もし世界が本当に平和になったなら、魔除けとしてのシーサーは必要なくなるのかもしれません。
それでも僕は、そんな日を夢見ながらシーサーをつくり、届けていきたい。
家族が安心して暮らせること。誰かが自分の夢に挑戦できること。その挑戦を、周りのみんなが応援できること。
僕の願う平和は、そんな身近な場所から始まるのだと思います。
「何が起きても、心が帰る場所を。」
沖縄の小さな守り神が、それぞれの暮らしに寄り添えますように。今日も、ここ与那原から一所懸命に仕事をします。
しまんちゅ工房 創業者・店長
新垣 信人