シーサー専門店!本物の県産シーサーだけを取り扱って16年のネットショップしまんちゅ工房です。お電話でのご注文、お問合せもお気軽に受けたまわっております。098-946-3035 平日10時〜17時 しまんちゅ工房のトップページを見る メールでのお問合せ 買い物カゴをみる
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沖縄生まれ、沖縄育ちの私達がこの島で生まれたシーサーに、島風を添えてお届けして16年。お越し頂いたご縁を大切に皆様と守り神との出逢いをお手伝い致します。
 
 
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当店が考えるシーサーの置き方をご説明いたします。これを見ればバッチリ!です!
 
 
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2012年時点で482件の喜びの声を頂戴しています!いつまでもお届けしたシーサーが御守りするように祈念しております。
 
 
 
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  はいさい!店長のあらかきです(^^)僕の祖父と父は、シーサーを製作しています。

僕の家業は、1950年創業の瓦工場で、小さい頃から焼きモノとシーサーに囲まれて生活してきました。

シーサーは、沖縄の文化です。文化や伝統は地域で愛され育まれて継承されるものだと思います。

父からきいた事また書籍で勉強してきた歴史について当店なりのシーサーの歴史をご説明いたします。

 
 
 
 
 ■シーサーのルーツ
 
 
シルクロードを旅したシーサー
シルクロードを旅したシーサー
シルクロードを旅したシーサー
シルクロードを旅したシーサー
シルクロードを旅したシーサー
シルクロードを旅したシーサー
シルクロードを旅したシーサー
 
 
 

シーサーは、シルクロードを伝わって大陸から沖縄へと伝来してきました。獅子文化は、世界へと広がるのですが、

沖縄のように民間にこれほど普及したのは、世界的に見ても沖縄県だけです(^^)

   
 

@エジプトのスフィンクス   

Aイタリアの海軍旗に描かれた翼のライオン   

Bギリシャのスフィンクス   

Cシリアのスフィンクス

Dイラン 翼がある獅子の祝杯   

Eイラン ペルセポリスの獅子   

Fイラン 帝王狩猟図   

Gインド サーンチの獅子 

Hインド アショーカ王柱   

Iスリランカ シムハ   

Jタイ ワット・アルン寺院の獅子   

Kシンガポール マーライオン

L中国 紫禁城の獅子   

M中国 福州の獅子   

Nジャワ島 ボロブドールの獅子   

O韓国 掛陵の獅子   

P沖縄 シーサー

Q日本 狛犬   

R日本唐獅子

 
 
 
 
シーサーのルーツは、スフィンクス!?
 
 
 

実は!あのエジプトにあるスフィンクス・・・あれがシーサーの原型といっても過言ではないのです!

今からはるか昔、オリエント時代にさかのぼります。みなさん「シルクロード」をご存知ですか?

中国の絹が地中海地域へ交易で通った道として知られていますが、最近ではユーラシア大陸も交易していたことが
わかりとても長大で広大な交易が行われたようです。

シーサーはなんと!そのシルクロードを伝わり中国に伝来されてきたのです!!

古代オリエント時代では、エジプトやインドですね、そこには王様が権威を民衆に示すために
百獣の王ライオンの像を王宮の傍らに設置していたそうです。

紀元前7世紀のメソポタミア地方にはまだライオンが生息していて、オリエント全域を支配していた
アッシリア帝国の王は、オリエント全域に王としての権威をしめすためにライオン狩りをおこなっていたそうです。

こわいですねーでも、情報網が発達していないまだまだ文化のあさい時代では、百獣の王ライオンこそだれもが恐れ、
敬う対象だったのですね。

そのライオンを狩ることで、王としての威厳を広大な土地の民衆へ伝えていたのです。
それが、いつしかライオンの像となり王宮に設置されたり、墓前に設置されるようになるのです!

 

古代オリエントでは、翼のあるライオンやスフィンクスのような怪物を創造していて降魔除災の守護神へと
変わっていくのでした。

それがいつしかシルクロードを伝わり各地で獅子文化として広まるのです。

当時の中国にライオンはその頃まだいなく、百獣の王ライオンを創造して多種多様な形の獅子が
生み出されたとされています。

朝鮮から伝わった日本では獅子を犬だと思い狛犬として神社に設置されるようになりました。
狛犬は朝鮮の犬と書くそうです。

 

沖縄では、中国からきた獅子文化が、1400年代に伝わったとされています。

それから沖縄には、龍など中国の瑞獣(ずいじゅう)文化と共に風水学を始め、沢山の思想と学問が
琉球時代に入ってきたと言われています。

その後、日本からも沢山の思想や学問が入り、明治22年にそれまで王家や士族階級にしか許されなかった
赤瓦屋根の解禁と共に、民間に獅子文化は爆発的に普及しはじめ、シーサーとして定着していきました。

 

更に、沖縄独特の自然崇拝や祖先崇拝などの信仰や文化、また中国から直接伝来した獅子文化である
日本の狛犬や唐獅子の影響をもうけ、 近代では作り手の「想い」や「思想」も取り入れ、今なお進化し続けている
世界でも稀な獅子文化としてシーサーは、沖縄独自の文化となっています。

 
 
 
 
 
紫禁城の獅子像はシーサーのルーツの一つ
 
 

青銅の獅子像ですが、素晴らしい技術とデザインですよね。最高傑作だと言われています。

威厳、風格がこの上なく表現されていて、細かな装飾を見ると「どれだけの歳月を費やしたのだろうか?」と
明・清の帝国時代の豊かさと強さを感じる事が出来るように思います。

獅子像は、太和殿という皇帝が政務を執り行う正殿の真正面に位置する太和門の両側に鎮西しています。

守護神であり、権威の象徴です。上の写真は門を見て左に位置する獅子像ですが、口があいています。
でも右に位置する獅子像も口があいています。

日本の狛犬や沖縄のシーサーは、基本的には右に口が開いている獅子、左に口が閉じている獅子を置くのですが
これは日本の仏教観の影響だとも言われています。仏教が生まれたインドの言葉サンスクリットのア・フーンから
「あ・うん」は派生したと言われていて、始まりの「あ」終わりの「うん」で万有を表している究極の真言の形と
言われています。

その真言から生まれた「あ」と「うん」の設置なのですが、

日本の平仮名は、右から左への文章ですよね?ですので始まりの「あ」は向かって右になったと思いますし、また東
から太陽が昇り、西に沈むので、始まりと終わりを表現するには、この位置が相応しいのだと考えたのではないかと
僕は思います。

このように日本では「あ・うん」の法則が仏教観に定着して右にあ「口があいているモノ」左にうん「口が閉じている
モノ」が主流になっていったように思います。

紫禁城の獅子像は、乾隆帝時代の作品と言われているので1700年。中国にも間違いなく密教の思想は伝来している
ので万有の法則「ア・フーン」は、中国では根付かなったのかな?と勝手に解釈していますが、もっと他にも沢山の
理由があるように思いますので勉強していきます(^^)

 
 
 
 
 
 
首里城の獅子像からシーサーの歴史を探究する
   
 

写真は、首里城、正殿に向かう歓会門の両側に設置された石獅子です。

お気づきになりましたでしょうか?上の写真は左に設置されている獅子で、右は映っていませんが実は、あ・うんが
逆なのです(^^)面白いな〜〜〜!獅子像は1400~1800年に間に設置されたと思います。ですので、紫禁城の獅子像の
位置も勿論情報として入っていますし、それから日本式の並び方も分かっている。

ここからは僕の勝手な解釈ですが、首里城は中国を接待する殿と日本を接待する殿がそれぞれ中国式と日本式建築で
用意されています。また、琉球王朝時代は、日本と中国が鎖国時代に東洋と西洋の架け橋として巨万の冨を築き王朝
文化を発展させてきた歴史があります。

首里城に掲げられている万国津梁の鐘にはこんな文字が刻まれています。

「琉球国は南の海の良いところにあり、中国と日本の間にある蓬莱(ほうらい)の島で、船で万国の津梁(しんりょう)
 いわば架け橋となって貿易を行い、国に宝物が満ちている」

交易の大切な取引相手を最大限におもてなしをしたいので、それぞれの建築様式を取り入れた殿を作っているのですが、正殿を守る守護神については、中国式、日本式も取り入れない。

つまり琉球独自の文化を誇っての設置のように僕は思います。

というのも琉球は、冨を得ていますが自国を小国だと認識していますので、例えば中国から使者を接待するいわゆる
迎賓館としての役割をもつ庭園「識名園」があるのですが、その庭園にある展望台・・・。おもてなしですので、きっと
沖縄のちゅら海が見れるのだろう!と思いますよね?
実は「その展望台から海を見る事が出来ません。識名園は高台になるので、本当は綺麗な海が見えるはずなのです。

しかし、匠に設計された庭で海が見えないようになっています。それは琉球が少しでも大きくみえるように陸地だけしか
見えない展望台を設計したからだと言われています。

こういたった大交易時代をたくましく生き抜いていく先人の知恵と気概を感じれて僕は非常に誇りに思います。

でも上記は、僕の勝手な解釈ですので何卒ご了承くださいませ。

獅子像をみて、どんな気持ちで職人さんが作ったのだろうか?どんな人だったのだろうか?どんな想いで設置したのだ
ろうか?と考える事は、歴史を感じれるひと時で僕は好きです。

こちらでは、シーサーの歴史にまつわる事を書きましたが、また勉強して更新していきたいと思います。

ぜひ!シーサーの歴史やご質問などありましたら是非ぜひお問い合わせください。

一緒に学んでいきましょう!

 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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沖縄を知る・伝える・創造する! しまんちゅ工房:沖縄県与那原町字上与那原364−1 電話/FAX 098-946-3035 代表者 新垣 信人

                   
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