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沖縄シーサーの歴史 |
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実は!あのエジプトにあるスフィンクス!そうなんです!あれがシーサーの原型といっても過言ではないのです! お答えします!今からはるか昔、オリエント時代にさかのぼります。 みなさん「シルクロード」をご存知ですか? 中国の絹が地中海地域へ交易で通った道として知られていますが、最近ではユーラシア大陸も交易していたことが わかりとても長大で広大な交易が行われたようです。 シーサーはなんと!そのシルクロードを伝わり中国に伝来されてきたのです!! 古代オリエント時代では、エジプトやインドですね、そこには王様が権威を民衆に示すために 百獣の王ライオンの像を王宮の傍らに設置していたそうです。 紀元前7世紀のメソポタミア地方にはまだライオンが生息していて、オリエント全域を支配していたアッシリア帝国の王は オリエント全域に王としての権威をしめすためにライオン狩りをおこなっていたそうです。 こわいですねーでも、情報網が発達していないまだまだ文化のあさい時代では、百獣の王ライオンこそだれもが恐れ、 敬う対象だったのですね。 そのライオンを狩ることで、王としての威厳を広大な土地の民衆へ伝えていたのです。 それが、いつしかライオンの像となり王宮に設置されたり、墓前に設置されるようになるのです! 古代オリエントでは、翼のあるライオンやスフィンクスのような怪物を創造していて降魔除災の 守護神へと変わっていくのでした。 それがいつしかシルクロードを伝わり各地で獅子文化として広まるのです。 当時の中国にライオンはその頃まだいなく、百獣の王ライオンを創造して多種多様な形の獅子が 生み出されたとされています。 朝鮮から伝わった日本では獅子を犬だと思い狛犬として神社に設置されるようになりました。 狛犬は朝鮮の犬と書くそうです。 沖縄では中国からきた獅子文化が民間に普及しはじめ沖縄独特のおおらかさと自然崇拝や 祖先崇拝などの信仰や独特の文化、日本の狛犬や唐獅子の影響をうけ今のシーサーへと進化をとげました。 |
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沖縄のシーサーと唐獅子と狛犬 |
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はい!兄弟といっても過言ではないと思います!もともと狛犬も唐獅子もシーサーも中国に伝わってきた獅子なのです。
その文化をもつ中国にまだ見ない百獣の王ライオンがいろいろと創造され装飾されていったと考えられます。中国で様々な様式、たとえば一体であったり対であったり群像であったりその当時は、ライオンをまだ見ておらず、 見たとしてもごくごく一部だったと推察されます。 もともと中国には、瑞獣と言われる獣の王となる龍、麒麟、亀、鳳凰の架空の動物を創造する文化がありました。 当時を考えますと科学の発達も遅れ今では、考えきれないほどのスピリチュアルな世界だと思うのです。 病気や災害から免れるためにいろいろな知恵をしぼり、またこの世を創造した畏怖するもの(自然)に祈りをささげ、 守り神として架空の守護神をつくりあげることで、その当時の人々は安堵したのだと思います。 まだライオンを見たことがない人達によっていろいろな形が創造され、また権威の象徴である獅子も守護神になったり 魔除けにもなったり周りの国の影響をうけながら さらに、時代の変化に対応しながら様々な獅子文化を形成していきました。 中国から沖縄に来た獅子はシーサーへ、中国から直接日本へきた獅子は唐獅子へ朝鮮半島を 経由して日本へきた獅子は狛犬へとなるのでした! |
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シーサーの力 |
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中国から獅子文化は沖縄へ伝来して500年以上たっております。 作者は不明ですが1470年ごろに首里城の瑞専門に石獅子が対で設置したと記録にあります。 その頃はまだ、中国式にならって王宮やごく一部の貴族にしか獅子を設置していませんが、首里王府時代の歴史書 「球陽」に1689年、東風平(こちんだ)の冨盛村でたびたび火災があり、 こまった冨盛村の人たちは、蔡王瑞(さいおんずい)という風水師に見せたところ、 「富盛村を見下ろす八重瀬岳がフィーザン(火山)だ」というので、その山にむけ て獅子を設置したら火災はおこらなくなったと 記録にあります。 ちなみにこの東風平の冨盛の獅子は村落獅子の起源といわれておりますが実際に今でも設置されています(^^) 当時このように村落獅子を設置すれば災難を防ぐと強く信じられ各地に村落獅子が広まります。 ここから権威の象徴や王宮での守護神であった獅子が村落へ普及し、当時禁止されていた民家の瓦使用が解禁される とともに屋根獅子として守り神シーサーが定着するのです。 沖縄本島で現在確認できる村落獅子はなんと!30体!長い年月であるいは戦争で獅子は風化していますが、 300年から400年もの間その村を見守ってきた石獅子をみると畏怖さえ感じます。 赤瓦が民家への開放とともに一般のお家にも屋根獅子としてシーサーがのります。 村落獅子として村に伝わりいつしか民家へも守り神として沖縄では、シーサーを乗せる風習が出来上がりました。 瓦屋根の普及ととてもに素焼きのシーサーが多く製作されています。壷屋焼きを中心に数多くのシーサーが製作され 島 常賀などシーサーの名人も生み出しました。 僕は那覇市にある波の上神宮に設置されている島常賀さんのシーサーが好きです。 沖縄のおおらかさと想像力と守り神としての気品と風格。沖縄最高のシーサーではないでしょうか 最近では瓦屋根も少なくなり門柱が出来始め、シーサーを対として門の上に設置したり、シーサー の顔を形どり面として壁に設置したり沖縄のシーサーも多種多様に変化しています。 もちろん国際どおりなどにお土産用としてもシーサーはバリエーション豊かにありますね。 中国から沖縄に伝来して500年以上、獅子文化は世界に類を見ないほど地域に根ざしていくのです。 沖縄独自の文化と信仰、ノロやユタのようにシャーマン文化やもともとある魔除けと一緒に、 獅子文化が守り神として魔除けとして沖縄の人々に愛されてきました。 |
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沖縄シーサーの置き方 |
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実は、シーサーの置き方に決まりはない!というのが本当のところです(^^) 皆さん考えてください。オリエント時代のライオンがシルロードを伝わり中国へそして中国から沖縄へ獅子文化として 伝来してきました。 ここまでざっくり説明しましたが、とてつもなく長い年月をかけて獅子文化は旅をしてきています。 沖縄にくるまでに、いろいろな形を生みいろんな思想の影響をうけて、しかも! 沖縄に伝わった獅子文化はシーサーとして500年の年月をかけて今日まで変化してきたのです。 最初は一体、対だったり群像だったり、権威の象徴から守護神へそして魔除けに(^^) その間に仏教や密教や祖先崇拝や神道など様々な思想や最近では風水まで・・・。 王宮や墓前への獅子像が村落獅子としてまた民家には屋根獅子として門柱獅子として壁獅子としてシーサーの身に なると大変疲れますが(笑) 人の数ほどシーサーの考え方はあると僕は考えています。 でも僕は、おじーもおとーもシーサーを製作していて小さい頃からシーサーと暮らしていますので しまんちゅ工房が提案するシーサーの置き方をご説明をしますね。 屋根獅子として単体でおく場合には、オス(口が空いているもの)を。 門柱や玄関、床の間に対として置く場合は、シーサーを正面からみて右がオス(口があいているもの)左がメス (口をとじているもの)をおきます。 諸説いろいろございますが、密教の一切諸法の「始め」と「終わり」を意味する「阿吽」を表現したものと言われております。 阿(あ)は万有発生の本体。吽(うん)は万有帰着の知徳。 鬼門(北東)に向けることをオススメいたしますが、ちなみに我が家では全方角へ向けています。 というよりもシーサーがいっぱいいます(^^) 沖縄のシーサーはケンカしません!おおらかで特に「ゆいまーる」の精神を大事にしています(^^) シーサーを置いて確実に幸せになる!という訳ではございません。でも! 500年守り神として沖縄で愛されたことは事実です。僕もシーサーを強く信じています。 怖いのは、シーサーのせいにしてしまうことです。シーサーを正面から見てください そのシーサーは職人さんが一生懸命製作した作品です。 なにを感じますか? あなたが見ているシーサーはオリエント時代のライオンがシルクロードを旅して沖縄に伝わり 500年守り神として愛されてきた文化です。 何を感じますか? ライオンを見たことがない人達が世の中の平安を祈り獅子を創造してきました。 皆さんもじっとシーサーを見てください。何かを感じるはずです。 「もの」を大事するのは人の心、世の中の平安を心から願うのは、だれでもなく私達ひとりひとり。 家族の幸せを願う心は、紀元前の人たちも同じではないでしょうか? シーサーを見て感じてください。創造してください。皆さんの幸せを心からお祈りしております。 |
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漆喰シーサー |
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実は沖縄の屋根にいるシーサーは大きくわけて二種類のシーサーがいます(^^) 焼き物のシーサーと漆喰と瓦でつくるシーサーです。沖縄の屋根をいろどる赤瓦なのですが、 屋根獅子ととても重要な位置にあります。 赤瓦は明治初期まで首里周辺で焼かれてきましたが、明治22年の解禁から、製造、製品流通 及び建築資材集積で便の良い与那原周辺へと瓦生産の中心が移っていき、現在に至ります。 僕の実家の家業もこの赤瓦を生産する窯元で僕も7年間瓦業に従事していました。 ガス窯で998度でたもつ素朴な色の赤瓦にはとても強い想いがあります。 その赤瓦と一緒にシーサーも屋根獅子として製作されます。 ではなぜ、 漆喰シーサーは誕生したのでしょうか?これにはとても温まるエピソードがあるんですよ〜 現在では瓦を生産する工場が仕事を受注して瓦職人に下請けをさせていますが、僕らのおじー の時代には、瓦職人が仕事を受注して工場から瓦を購入して葺いていました。 その時 余った瓦と漆喰で家主さんにお礼の意味で職人がシーサーを製作したのが始まりだと いわれています。 どうですか〜!この職人の温まるお話は!僕は大好きです!職人が! 僕も瓦職人と一緒に何度も現場を手伝いましたが沖縄の炎天下のなか直で太陽の下、勾配の ある屋根で重い瓦を葺く! 職人のつらさと、でもその中できれいな仕事をする職人の誇りが、 漆喰シーサーには込められているんです! 僕もいくつか瓦をふいた経験があります。今でもその現場は覚えていて娘に自慢するんですよ 「あれは父さんが葺いたんだよ〜って」 それから僕が仕事を受注してきた現場はすべて覚えています(^^) 当店からお届けするシーサーが全国のどこかで見れたらこれ以上の喜びはないだろうな〜 シーサーは、沖縄の誇りで僕も誇りを持ちながら仕事をしています! おじーの頃から沖縄の伝統に行事できてほんとに幸せです。 これからもシーサー文化に微力ながらも貢献できればと思います! 以上 あらかきでした! |
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